ぶらりぼっち日和

人生回り道。のんびり生きる仕事嫌いな20代

社畜=必要悪


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 最近、世の中の必要悪として社畜は必要なんじゃないかなと考えるようになっています。働き方改革やら会社のコンプライアンスが叫ばれ、昔よりも法令違反をした企業への風当たりが強いように感じる最近。いわゆる社畜的な働き方はよろしくないという印象が強いですよねえ。

 もちろん僕自身は、社畜か社畜でないかといったら、そりゃ社畜でない方が良いに決まってます。一秒たりとも残業したくないし、めんどくさい飲み会にも行きたくない。会社の謎ルールにぴったり沿うのもめんどくさいです。あ、そもそも会社に行きたくねえ!

 こんなテンプレートのような労働嫌い厨がどうして社畜は必要なのではないかと言い出したのでしょうか。特段意識が高まったわけはなく、怪しげな宗教に引っかかった訳でもありません。社畜と自分の性格を紐づけるとそうしても、こう考えずにはいられないのです。

 

社畜は自分の存在証明が欲しい

 BUMP OF CHIKINの歌詞に出てきそうなワードですが、最近これを強く思います。僕は自分でも驚くほどの自己意識低い人間なんですね。自信の「じ」の字も見当たりゃしません。

 どんなことをするにしても「これであってるかな
……?」「失敗したりしないかな……?」とネガティブな考えが頭の中でぐるぐる。見切り発車でやりたいことをやりたいようにやる!なんてことは僕にとっては夢物語なんだなあ……。

 そんな自信喪失人間からすると、どんな些細なことでも他人から認められたり必要とされたりすると、それに全力で縋ってしまうのです。

 何度か書いていますが、僕は前職時代なかなかによろしくない労働環境の中働いていました。基本給が低く、百時間働こうが残業代はつかない。

 休みが月に二日くらいの時もあり、その貴重な休みすら仕事で潰れることもありました。当時はとにかくイライラしながら働いていましたねえ。

 その状態でも辞めなかった理由は、もちろんお金の問題もありました。もともとフリーターの僕には貯金などなく、さらに引っ越したばかりだったのでかなりの死活問題になるなと。

 加えて、職場の人間関係はそれなりに良かったということもあります。特にパワハラとかもなく、色々気にかけてもらったことは事実です。詳しくはここら辺の記事をご覧頂けると幸いです。

 

hitomishiriman.hatenablog.com

 

hitomishiriman.hatenablog.com

 

 

それらと並び辞めれない理由の一つであったのが、

 

自分はこの会社に必要とされているんだ!

 

という間違った感覚を持っていたからでした。決して責任感とかで続けていたわけではありません。ただひたすらに、自分の存在価値をブラックな労働環境に見出してしまったのです。

 

「自分がいないと回らない」という自意識

 あくまで僕がいた当時ですが、前職はかなりギリギリの人数で回っていました。業務は小売の現場への人材派遣。コンビニやスーパーとかの小売店舗に自社のスタッフを派遣するイメージですね。

 そこへの派遣スタッフを自社で雇い、派遣先で働いてもらう仕組みです。もし派遣スタッフがシフトに入れなければ社員が入らなければいけないという大変にイヤー
な業務でした。

 社員は僕とその先輩、他に新卒の後輩が数人いるのみ。年上ということもあって、主に入っていたのが僕ともう一人の社員であり、やたらと無茶苦茶な勤務体系に対応せざるを得ませんでした。派遣スタッフが休んだり、現場で人員が急遽足りなくなったりすると真っ先にお呼びがかかるわけです。

 そんな状態が一年以上も続けば普通は嫌になるでしょうが、僕はならなかった。「お前何で今の会社いるの?バイトの方が稼げるじゃんw」とも言われましたねえ。そりゃそうだ……。今の職場に入って勤務時間は激減しましたが給料は圧倒的に上ですからねえ。

そんな状態にもかかわらず辞めなかったのは、

 

 

僕がいなくなったら困るよなあ……。他に業務に緊急対応できる人はいないし……。あれ、もしかして僕って……この会社にめちゃくちゃ必要な存在なのでは?

 


という間違った満足感を得てしまっていたからなのです。先述の通り僕は元来自身がない性格。人から必要とされたり頼りにされたことはあまりありません。

 そんな僕が「この会社は僕が抜けたらやばくなる!」という、あたかも自分が必要とされているという感覚に陥ってしまったのです。この感覚がマジで厄介。

 普通であれば「こんな会社辞めてやるううううううう!!」となるのが一般的。そりゃ「金無い」「時間無い」「やりがい無い」なんて会社にいても意味はありません。ですが、そうはならないのが自信喪失人間の方々。

 まず「辞めても次の職場見つかる自信ねえよおおおおお」から始まり、「こ、この会社は僕がいないと回らないんだ!そうだ!今僕は必要とされている!!」という間違ったポジティブ思考へと進化します。

 もともと他人から必要とされてくる経験が少なかった方々。たとえあくどい環境であっても「必死に働き職場を回している俺、すごくね!?」という勘違いをしてしまうんですね。

 そうしてちっぽけな自信を作り上げ、言い方は悪いですがピラミッドの最底辺の中での最上位という地位に甘んじてしまうのです。

 別にこれが悪いことだとは思いません。現に僕もそういうタイプですし気持ちは痛いほどにわかります。

 人間ってどうしたって上ばっか向き続けても疲れますから、たまには下を眺めて自己肯定感を高めていかないと精神がやられてしまいますからねえ。

 でもそれがあまりにも強すぎると社畜になり、自己犠牲を払って間違った感覚で会社に尽くしまう。ここに行き着いてしまうと、自分の時間やお金や経験を無駄にする可能性が大きいです

 

「必要とされている」ことにした方が楽

 何だか書いていて心が痛くなってきましたwまあもともと自分自身のことですからね。もう少しだけ書いていきます。

 「(間違った価値観の元で)必要とされている」という状況は、非常に楽。なぜなら現状を変える必要性がそんな大きく無いからなんですね。

 もし「
自分はこの環境に不必要なのでは?」というそんな絶望感を抱き始めたら何らかの策を講じる必要があります。例えば、会社であれば転職するということであったり。明らかに悪い状況が自分の身に降りかかればそれを改善しようとしますからね。

 でも下手に自分が必要とされている感覚があると、そのままでも良いと思ってしまうんですよ。時間を犠牲にするだけの社畜なら、とりあえず働いていれば自分が回している感覚は味わえますし、承認欲求も満たされる。はたから見れば悪い状況でも、本人はそれに気づかない。これはね、恐ろしいことです。

 

形は違えど自分の価値を認識できる場は必要かもしれない

 と、恐ろしいとは言いつつ、無意識のうちに社畜という現状にすがってしまう人がいるのも事実。自分のメンタルや心構えなんてのは、それまでの人生の中で培われたほぼ絶対的なもの。変えるのはなかなか難しい。

 であれば、自分に価値を感じない人の居場所として社畜という概念も必要なんじゃ無いかなとも思うのです。ある程度のハードワークという部分においては、必要悪として残されるべきものなのかな、と。

 あ、もちろんこれは過労死や残業代未払いとかの問題を容認する訳では無いですよ。そこは会社側がきちんと対応すべき部分。これはあくまで "自分に居場所を求める人の価値観" としての考えです。

 ほんとはもっとポジティブな方向で自分の価値を認めたいものですが、そうやすやすとは行かないですからねえ。社畜も必要悪として世の中に存在しなきゃいけないものなのかもしれません。