ぶらりぼっち日和

人生回り道。のんびり生きる仕事嫌いな20代

無職が考える「 "もう25歳" か "まだ25歳" 」か問題


スポンサードリンク

 

 

f:id:hitomishiriman:20170624214720j:plain

 

無職生活も、はや四日が経過―――なんだか最近無職推しですみません。
やはり、今まで人生の大半を占めていた労働の概念が消え去ると、普段考えないようなことも考え始めてしまいます。まあ七月からは新たな職場が不本意にも始まってしまうのでそれまでは好き勝手考える猶予があるということで・・・・・・。

 

さて、仕事辞めたよ記事にいくつかコメントを頂きまして。ありがとうございます
「ゆとり氏ね」や「無職wwww」といった反応は無く、「お疲れ様でした!」という温かな反応が全て。はてなのヌクモリティに触れる日々です。
そんな暖かい反応の中にこのようなものが。

 

 

アイコンに違わぬ温かなコメント。ありがたや。
このコメント自体はもちろん大変嬉しく、ヌクモリティを感じていました。
ふと考えることになったのは、「まだまだ若いから大丈夫!」という部分です。

 

 

  

 

若い、か。
うん、確かに20代。
大学卒業してからたった三年しか経過していません。
とはいえ、この「若い」という認識、働く人にとっては重要な問題なのではないかと。

 

 

「もう25歳」なのか「まだ25歳」なのか?

 

結論から言ってしまえば「人による」としか言えません。
そりゃそうだ。「三年スキルを蓄えてこれから挑戦する!」のか「もう三年もいてしまい社風にも染まってしまった。次は難しいだろうか・・・・・」のか、考え方は人それぞれ。これといった正解はありません

とはいえ、せっかくコメントから考える機会を頂いたのに、このままポイするのもどうなのかしら。逆に言えば、完全無職である今だからこそ、身にしみて考えるコトができるのではないかと思い、この度書いてみることに。専門家でもなんでもない無職の意見なので、参考程度にどうぞ。

 

 

「もう25歳派」について考える

 

まずは「もう25歳」という意見から考えていきます。
言葉通り、焦りを感じるこの意見。どうしてこうなるのかーーー。

 

①30歳まで5年しかない

まず「たった五年と考えるか、あと五年もあるか考えるか」論争は一旦置いておきましょう。それが入るとややこちい。ややこしいの嫌い

30歳というのは、一つの節目に考えられるコトが多いです。

 


会社で中堅に近づき、

そこそこの仕事を任され、

人によっては結婚をし、

またある人は結婚を急かされ、

生活もそこそこ安定している

 

 

―――これらのコトが求められる年頃。
いわゆる「もう立派な大人」といったところでしょうか。
そんな「もう立派な大人」まであと五年―――まあ確かに焦る。

成人してからよく聞くのは「一年が早い!」というもの。
僕もこれには大賛成。一年前は前職で働き始めて三ヶ月ほど経っているわけですが、

なんかもうね、記憶に無い。

日々ルーチンワークでくるくる働いていたため、
「あれ?これ繰り返してたらもう一年?」という印象。
もちろん日々刺激のある生活を意図的に送れる方は違うでしょう。
しかし、大半はこんな感じかと思います。

小さいころは、きっとみなさん濃密で、毎日ワクワクした毎日を送っていたことでしょう。

 


帰り道で例の花をチューチューしたり、電車でいつもより少しと遠出したり、放課後夕闇に染まる校庭であの地球儀の回るやつ(たぶん撤去済みが多い・・・・・・)で遊んだり、こっそりお金をもって帰り際に駄菓子屋に寄ったり(そしてそれが怒られたり・・・・・・)

 


今振り返ると「おいおいこんなの大人になったらいくらでも出来るぜ」という出来事にいちいちワクワクしていました。

大人になってからは、

 


朝起きて、顔洗って、コンビニでおにぎり買って、満員電車乗って、会社着いて、働いて、帰宅して、適当にご飯食べて、寝る

 

という生活。うん、ひとかけらもワクワクしない。
むろん仕事に対してワクワク出来る人は別です。
やりがいを持ちながら仕事が出来るならそれは幸せなこと。

しかし大半は、代わり映えしないルーチンワークに飽き飽きしながら無為に時間が過ぎるのを待っているばかり。書いてて悲しくなってきましたが、このような生活では、全てのものにワクワクしていた子供の頃のような時間の感じ方は難しいでしょう。だからこそ「こんな生活をしていたら、30歳まであと五年しかない・・・・・・」という感覚になるのないでしょうか。

 

②周囲が大きく変わり始める

僕の周りでもチラホラ出始めましたーーー結婚する同期や後輩が。
Facebookでの報告を見るたびに彼女すらいない無い僕は胸がきゅーっとなる思い。
先輩の結婚報告ではギリギリ耐えられます。
まあ一個上だと「来年こうなれるのか、僕・・・・・・?」という気持にはなりますが

後輩の結婚報告なぞ、なんと言っていいやら。
僕より後に生まれた人間が、僕より先に結婚し、子供を持ち、温かな家庭で暮らしていく。これはホントに焦りの極み。

 

仕事面でもそう。こっちがルーチンにひいこら言ってる間に、

 

 

「退職して自分でサービス立ち上げます!」

「全社トップ獲得しました!」

「新規事業の責任者に!」

 

 

着々とつけられる、差。
人それぞれペースはあるといえど「焦るな!」と言うほうがなかなか難しいです。

そんなことを意識し始める25歳。
「同期は色々結果を出しているのにおれはこんな・・・・・・」
―――焦りゆえの「もう25歳」なのでしょうか。

 

 

「まだ25歳派」について考える

 
続いて「まだ25歳派」について考えます。

 

①なんやかんや卒業してまだ三年しか経ってない

そうなんですよねえ。冷静に考えるとこの時点ではまだ、社会へ出て三年しか経っていない。

大多数の方は、22歳まで「学校」という守られた領域で過ごします。
学ぶべきものも用意され、失敗をしてもあらかた許容され、お金の面でもあらゆる優遇がされ、とにかく「与えられる環境」が整いまくってました。意識しないと、ひたすら受信側。

 

それがどうでしょう。卒業した瞬間、

「社会に価値を!」「会社に貢献を!」「自分が何かを生み出す意識を!」
―――受信する側から発信する側へ変化することが求められます。

立ち止まって考えると、なかなかハードじゃありませんか?
22歳までは受け取っていればいい立場にいたのに、卒業したらいきなり準備運動無しで「ほれい!やってみい!」とばかりに会社へぽい。

こう言うと凄くクズっぽいですが (まあどのみち無職だし・・・・・)、「まだ少し甘えていたい・・・・・・」「徐々に社会に慣れしていきたい・・・・・・」という気ちも分からんでもない。むしろそっちの方が自然で、「卒業したらすぐ社会に出る」という急な方向転換こそ僕らには合っていない気すらします。

 

もちろん学生のうちにインターンや起業等で社会人並みの意識も持つ方々もいるでしょう。ただ、一歩ひいてみるとそうした学生さんはごく一握り。自分がそうした界隈にいると当たり前になってしまいますが、そもそもそういった意識を持つ方が稀かと思います。そこを考えると「ずっと受信側にいたし、まだそんなにあわてなくても・・・・・・」となる方の気持ちは、大いに理解できるかと。。

 

②人生80年で考えると、まだあと50年以上ある

 

これもなあ、考えるとそうなんですよ。
今、ほとんどの人が80歳、90歳と生きていける時代。
なのに25歳時点で「嗚呼・・・・・・」なんてなるのは早いなあ、と思います。
80歳まで生きるとして、あと55年の人生・・・・・・。

 

 

 

 

 

なげえ。今の年齢の倍以上生きるのか・・・・・・!

 

 

 

 

それだけ生きていれば、何も起こらないということは無いのではなかろうか・・・・・・。
完全に人との繋がりを断ち切ったり、人生をなげうったり、その気になれば人生をしっちゃかめっちゃかにすることは可能。しかし、少しでも自分の人生を良い方向に変えるために動いていれば、何も変わらないことは無いように思います。

「もう会社に△△年いてしまった。スキル面から考えてももうやばいかな」―――これに近いニュアンスの言葉をちょくちょく聴きます。気持ちはやっぱそうですよねえ。なんとなく「三年を超えるともうヤバイ」という感覚に陥りやすいのかな、という印象です。

しかしこんな文章もあります。

 

 

例えば、今が45歳であれば、45÷3で15時。つまり、人生を1日に例えれば午後3時にあたります。
もっと若く、今が30歳であれば、30÷3で10時、つまり午前10時です。30歳になったときに、もう年寄りだという人が多いのですが、実はまだ午前中なのですね。

引用:一生を1日に置き換えてみる「人生時計」という考え方

 

 

んんん、染みるう・・・・・・。
そうかあ、では25歳であれば朝の9時位かなあ。
会社で言えば、まだ朝礼が始まって「さあこれから仕事じゃい」という時間。
(仕事が憂鬱なのは置いといて)朝礼の段階で「ああ、もう今日一日終わりだァ・・・・・・。取り返せないよお・・・・・」と思う方はまずいないでしょう。休日の朝9時なら、のんびり朝食食べて午前はテレビ見て、午後からなにしようかなあとウフフな妄想タイムの真っ最中。そんな早い時間に人生を悟るのは、確かに拙速だな、と。

 

 

理想はやはり「まだ25歳」

 

つらつら書いてまいりました。
ここまで読んで読者様も感じるかと思いますが、やはり理想は「まだ25歳」という考え方でしょうか。「もう25歳・・・・・・もう25歳・・・・・・」と、焦りに身を任せるのはメンタル的にもよろしくないなあと思います。

仕事を通じて分かったのですが、結構メンタルの状態って行動やその結果にも表れるんですよね。僕も仕事で疲れ果てて、無意識のうちに「何やってんの・・・・・マジで・・・・・・え、なんで働いてんの、おい・・・・・・」と考えた時期は、よう遅刻するわ仕事が適当になるわで散々でした。無職になってすこし落ち着いて振り返ると「ああ、やばかったなあ」というのをしみじみ思います。

年齢に対する考えも一緒ではないでしょうか。
例えば、焦って無理やりキャリアを探して、よくわからない企業につかまればそれはもちろん不幸。
また、無理やり結婚相手を見つけて家庭を築いても必ずどこかでほころびが出るのではと思います。

焦った結果、残り55年の人生が暗いものになってしまったら、そっちの方が不幸ですからねえ・・・・・・。


 

気持ちは「まだ25歳」。でも肉体は無意識レベルで動かし続ける

冒頭の通り、こうした意識の問題は「人による」としか言えないことがほとんど。
ですがむりやり結論を出すとするならば、見出しの通りでしょうか。

 

 

まずメンタルがやんでは元も子もない。なので気持ちは「まだ25歳!大丈夫!」と落ち着かせる。しかしそれで油断して何もしなければそれはそれでやばい。なので、肉体は次の道を切り開くために動かし続ける。出来れば無意識レベルで。

 

 

この生き方が良いのでは無いでしょうか。メンタルの安全を保証しつつ、体は次を見据えて動かす。もし失敗してもメンタルがカバーしてくれるという状況を作っておくのが理想なのかなあ、と思います。

 

 

 

 


無職になるとこういうことばっか考えるなあ・・・・・・。
皆さんはこういう年齢に関しての問題ってどう考えるんでしょうか・・・・・・。