ぶらりぼっち日和

人生回り道。のんびり生きる仕事嫌いな20代

「みんな仲良く」とかいう脅しがなくなればもっと気楽に生きられるよ


スポンサードリンク



もっともっと気楽に生きたいですね




今の時代って、ぶっちゃけ僕らのような人見知りであったり、

自分に自信が無い人間にとって相当生き辛いなあと感じます。

 

 

皆が周りに合わせておんなじように生きることを強いられてますから、そりゃ窮屈です。

順応性の高い人なら問題ないですが、僕みたいな人間にはきっつい。

コミュニケーション能力が低いので周りについていくのが一苦労です。

まあとはいえ、表面的に上手くやってても内側ではストレス抱えてる人もいると思いますが。

 

こんな窮屈になってしまった理由は色々あるでしょうが、一番は恐らく





 

「皆で一緒に」とかいう脅し

 



これがあるからでしょう。

同調圧力とかいうあれですね。




もっともっと一人でいることに抵抗がなくなれば気楽な社会になるんですけどねえ。




この「みんなで一緒に」という脅しは、僕らの小さいころからさらっと身の回りに潜んでるから恐ろしい。





 

義務教育時代の誰かと一緒に過ごすという強制

 



さらっと潜んでいた例として、給食の班分けなんかがそうじゃないですかね。
 

まあ私立なら弁当持ってきて勝手に食えってとこもあるでしょうが、公立の学校では班分けが一般的でしょう。

僕のところもそうでした。近くの席同士でグループ作って食べてましたね。

 

あれ、超苦痛なんですよね。

自分と合わないクラスメートと一緒になったときのなんともいえないあの感じ、嫌でした。

だって話すことないですし。

たまに担任が班に入って一緒に食べるときもあるのですが、気遣いまくりでしたね。

なんだかあの頃から接待をしていた気持ちでしたw

 

「昼食はみんなで仲良く食べましょう!」的な雰囲気があるから、

今ぼっち飯だの何だのがカテゴリーとして生まれるんですよ。

 

人間なんだから気分的に一人でいたい時もあるでしょう、そりゃあ。

なのになんで一人でいると「付き合いが悪い」だの「和を乱す」だの「友達がいない」だの好き勝手言うんでしょうか?




君らはロボットかと。

みんなと一緒にいるというプログラムでもされのたのか?




そういうリアクションとる人を見ると「人生大変そうだな」って思います。

 

あと、休み時間はよく図書館にいたり一人でぼーっとすることが多かったんですが、たまに心配されてましたw

根暗だの寂しい奴だの好き勝手言われてましたねえ。




 

同じように求められた答えを考えなきゃいけない

 

 


あと道徳の時間。

あれ大嫌いでした。

 

道徳について学ぶのは全然いいんですよ、もちろん。

価値観や人に対する考え方は大切です。

あれなきゃ人間性もへったくれもありません。




でも学校教育が混ざると話は別です。

「教師の望む答え」を言わないと絶対何か言われるんですよ。




例えば、いじめに関しての授業。

まず道徳の本見たいのを読むんですよ。

道徳ノートみたいのありませんでした?

ストーリーは大抵、

 

いじめられっ子がいて泣いていたけど、あることをきっかけに勇気が湧き思い切っていじめっ子に本音を言ったら仲直りした

 

みたいな感じのアレです。

 

で、そのあとに生徒に感想を書かせるわけですが、


勇気を出して正直に「いやだ!」と伝えるのが大切だと思いました!

親や先生に正直に話すべきだと感じました!

 

みたいな感じの答えにならないといけないって雰囲気になってましたよね。




いじめ問題に関して言えば、なんで正面から戦うのが素晴らしいという雰囲気にするのか。

「とっとと逃げる」とかの選択肢はなかったように思います。

いじめなんて、戦わないで逃げるのが一番なのに。

先生に言っていじめがなくなるなんて都市伝説級の話だと思ってます。




 

学校ってみんなと一緒じゃないことが悪
ということをすり込む場所でしたよねえ。

 



授業でも遊びでもなんだか息苦しかった思い出があります。

 

あそこで「一人の時間の大切さや有意義さ」を学べていれば、断然ストレスフリーな社会になっていたと思います。

一人の時間ってめっちゃ大事ですよ。

邪魔が入らず自分の思考を巡らしたり、とことん自分と向き合ったり。

 

あ、そういう時間がなく周りとばっか向き合ってるから「やりたいことがない」みたいな状況が生まれるのかも。書いてて思いついた。日本の教育とか、そういう根底をひっくり返せなきゃホントに住みやすい社会なんて生まれませんよねえ。   

みんなで過ごすことも大切です。
一緒にいることで学べることもあるでしょう。

でもねえ、それが偏りすぎてるからいかんのですよ、ほんとに。
もっともっと一人の大切さが広まればこの息苦しさも緩和されるんじゃないでしょうか?